ごあいさつ
平成十七年十二月、越後文書宝翰集と呼ばれる古文書群が新潟県の所蔵となりました。越後文書宝翰集は、全国的にみてもきわめて歴史的価値が高く、国指定重要文化財に指定されています。 平成十八年三月三十一日 新潟県立歴史博物館
|
「重要文化財・越後文書宝翰集の世界」へのいざない |
越後文書宝翰集とは、全四四巻の巻物に仕立てられた七〇五通の古文書群です。そのほぼすべてが鎌倉時代から戦国時代、いわゆる中世という時代に、越後国、現在の新潟県で書かれました。
七〇五通という多くの点数を含む中世古文書群は全国的にも数少なく、昭和五四年には国の重要文化財に指定されています。いまや越後文書宝翰集は新潟県の歴史を考える上で欠くことのできない貴重な文化財なのです。
ただし、越後文書宝翰集そのものが公開される機会には恵まれず、県民のみなさまに広く知られるにはいたっておりませんでした。四〇〇年以上の時代を超えてきた古文書を実際にご覧いただくことによって、新潟県の歴史にあらたな発見があるでしょう。
ここでは、そのいざないとして越後文書宝翰集の構成と内容について簡単に触れておきたいと思います。
西暦一二〇〇年頃、鎌倉幕府から派遣されてきた武士たちが越後へやってきました。彼らの一族は多く土着し、勢力を伸ばしていきます。そしてたがいに、ときには一族の中でも領地などをめぐり争うことがありました。この相論の経過は、古文書に記録されて、それぞれの家に伝えられました。越後文書宝翰集は、彼らのように鎌倉時代以来越後に拠点を持った武士の家や寺院に伝来した古文書を集めて一つにしたものです。
つまり、越後文書宝翰集には、新潟県域という特定地域の古文書が一群となって収められています。これは越後文書宝翰集の大きな特徴です。こうした特徴から、新潟県域を中心とした鎌倉時代以来の争いや、武士による地域支配のあり方、またその生活ぶりなど、多くのことを知ることができます。
同時に越後文書宝翰集には、後醍醐天皇や足利尊氏、足利義満といった歴史上重要な役割を担った人物が多数登場します。新潟県のみに終始するのではなく、全国的な歴史の流れの中に新潟県を位置付けることも可能な
古文書群なのです。
なかでも越後文書宝翰集の中の「色部文書」には、豊臣秀吉の全国統一の総仕上げとしておこなわれた「奥州仕置」にかかわる古文書が数多く含まれており、越後文書宝翰集によってあきらかにされる事実も少なくありません。
越後文書宝翰集の構成は、伝来した家などによって大きく一八のグループに分けることができます(表参照)。これをみると 、阿賀野川以北に勢力を保っていた、当時「阿賀北衆」とよばれた武士たちの家に伝えられた古文書が中心的といえます(図参照)。
文書群名 | 巻数 | 支配地 | 各文書群の内容 | |
1 | 色部氏文書 | 10 | 岩船郡 | 地域支配、参陣に関わる血判起請文、儀礼関係など多様。上杉謙信の血染め感状、後醍醐天皇綸旨が含まれる。 |
2 | 河村氏文書 | 1 | 岩船郡 | 鎌倉時代の地頭河村氏に伝来した文書。北条氏から承認された土地支配に関する文書が中心。 |
3 | 三浦和田氏文書 | 6 | 北蒲原郡 | 三浦和田一族の総系図、地域の年貢送付状、検地定書など多様な地域支配・一族支配に関する文書群。後醍醐天皇の綸旨等が含まれる。 |
4 | 三浦和田中条氏文書 | 1 | 北蒲原郡 | 中条氏の軍功・寺院に関する記録、書状など。 |
5 | 三浦和田黒川氏文書 | 5 | 北蒲原郡 | 鎌倉時代〜戦国時代の起請文、掟書、土地堺相論の仲裁状など多様。荒川保奥山庄堺相論絵図関連文書等が含まれる。 |
6 | 三浦和田羽黒氏文書 | 2 | 北蒲原郡 | 中条氏の分家羽黒氏に伝来した文書。三浦和田中条氏文書と同様。 |
7 | 築地氏文書 | 3 | 北蒲原郡 | 長尾為景よりの書状、御館の乱時の書状・軍忠状などが中心。 |
8 | 大輪寺文書 | 1 | 北蒲原郡 | 鎌倉時代以来の三浦和田氏、中条氏などからの土地屋敷寄進状など。 |
9 | 大見安田氏文書 | 1 | 北蒲原郡 | 鎌倉時代以来の地頭職任命状、相伝系図、伝来文書目録など。 |
10 | 大見水原氏文書 | 1 | 北蒲原郡 | 鎌倉時代以来の土地譲状、地域の検断に関する命令状などが中心。 |
11 | 小田切氏文書 | 1 | 東蒲原郡 | 御館の乱時の文書群。主に会津・芦名氏、上杉景虎との関係など。 |
12 | 毛利安田氏文書 | 4 | 刈羽郡 | 室町時代の国人領主毛利安田氏の文書群。足利義満の地頭職任命状など。 |
13 | 斉藤氏文書 | 2 | 刈羽郡 | 御館の乱時の武田氏・上杉氏の状況をうかがわせる文書が中心。 |
14 | 上野氏文書 | 1 | 中魚沼郡 | 新田氏一族の上野氏に伝来した文書。上杉氏の軍忠状・知行安堵状が中心。 |
15 | 発智氏文書 | 2 | 北魚沼郡 | 上杉氏の補佐役、発智氏に伝来した文書。上杉憲房期の堺相論裁許状など。 |
16 | 段銭日記 | 1 | 上杉氏に上納すべき段銭の書上など。租税上納の状況がうかがえる。 | |
17 | 雑文書 | 1 | 色部氏文書の下書・案文の類が中心。 | |
18 | 雑集 | 1 | 書状類。戦乱時の陣立の様子などがうかがえる。 |
戦国時代になると、上杉謙信から景勝をへて越後国は統一され、新潟県域の武士たちは上杉氏の家臣になりました。「阿賀北衆」もその一翼を担っていましたが、
上杉氏の家臣のなかでも、彼らは自立心の高い集団でした。越後文書宝翰集は、彼ら「阿賀北衆」と謙信との緊張した関係を詳細に伝えています。
新潟県の歴史を知る上では、戦国大名上杉家に伝来した古文書群である上杉家文書(山形県米沢市所蔵、国宝)も重要です。上杉家文書などと越後文書宝翰集とをあわせて考えることにより、あたらしい新潟県の歴史があきらかにされるはずです。今後の研究の深まりに期待したいと思います。
〈おもな参考文献〉
『新潟県史』資料編4、中世二(新潟県、一九八三年)
※その他新潟県内の自治体史などには多く取り上げられています。
佐藤進一編『越後文書宝翰集』(新潟県教育委員会、一九五四年)
井上鋭夫編『奥山庄史料集』(新潟県教育委員会、一九六五年)
井上鋭夫編『色部史料集』(新潟史学会、一九六八年)
佐藤進一他編『影印北越中世文書』(柏書房、一九七五年)
田島光男編『越後国人領主色部氏史料集』(神林村教育委員会、一九八四年)